十日町雪まつりの歴史

十日町雪まつりの歴史

1950年(第1回)

十日町雪まつりは、昭和25年2月4日(土)・5日(日)に初めて開催され、積雪90cmの少雪ながら雪の芸術作品35点が立ち並び、仮装コンクールなどの催しが行われた。当時、雪まつりを提案した十日町文化協会の高橋会長は昭和22年10月、昭和天皇が県内をご巡幸した際に「雪国で何か明るい話題はないか」というご下問がヒントとなり、雪まつりを思いついたと述べられている。

1957年(第8回)

雪の芸術展が中心であった雪まつりに、新たに織物組合青年部が主管する雪上カーニバルが加わる。十日町高校グラウンドに設置された高さ12mの雪の女神像をバックに、きものショーや雪上演劇が行われた。

1966年(第17回)

15.16回が少雪中止で3年ぶりの雪上カーニバルを開催した。2日間とも快晴で人出は10万人をこえた。飯山線沿線に小・中学生による学生車窓展の雪像が作られ市民あげての雪まつりに大きく貢献した。

1973年(第24回)

市民と観光客との交流拠点として十日町小学校に「ふるさと広場」が登場。更に翌年からは昭和町4丁目の旧国鉄官舎跡地に「雪まつりランド」(繊維労働組合)が開設されて「おまつり広場」が雪の芸術展と雪上カーニバルに加えて雪まつりの三本柱になる。

1981年(第32回)

最高積雪3m77cmを記録した「56豪雪」に見舞われる。開催が危ぶまれたが市民が団結し、市内全域をつなぐ聖火リレーが初めて行われる。

1982年(第33回)

前年の雪上ステージ「祈りの館」が、雪で作った世界で最も大きな建造物として当時のギネスブックに認定された。また、雪像を最高の状態で観賞してもらおうと雪まつり前日の金曜日夜に雪像見学ツアーを実施し好評を博した。初めての「ミス十日町雪まつりコンテスト」を実施し初代3名が誕生した。

1987年(第38回)

「だれでも参加できる雪まつりにしよう」と企画された雪だるま大作戦、前夜祭には「ほんやらどう広場」「雪上トライアル&スノービクス」の2つの催しが加わり一層の盛り上がりをみせた。

1988年(第39回)

カーニバルステージは光GENJIの出演で約5万人が来場。徹夜組を交えた熱狂的なファンで凄まじい盛り上がりをみせた。また、日本テレビのスペシャル番組「第1回人文字コンテスト」の収録が雪まつり翌日にカーニバル会場で行われた。

1990年(第41回)

1月末には2m近い積雪であったが、2月に入っての暖冬と降雨でわずか79cmでの開催となった。雪の確保に苦労しながらも芸術作品35点、雪だるま5,477個と前年を上回る数が制作された。コミュニティ広場では、ツマリアンボール大会が初めて開催され人気を集めた。

1994年(第45回)

3日間とも晴天に恵まれ過去最高の延べ365,000人の人出を記録した。45回記念事業としてディズニーの人気キャラクターがパレードと雪上カーニバルにゲスト出演。子供から大人まで熱狂的な歓迎を受けた。またイメージキャラクター「ネージュ」が誕生。デザインは松之山出身のファッションデザイナー・小野塚秋良氏。市民からの花火募金も行われた。さらに鹿児島県指宿市からミス指宿が初めて参加した。

1996年(第47回)

1月末から2月初めにかけてドカ雪に見舞われたが、まつり期間中は好天に恵まれのべ310,000人の人出を記録した。雪上カーニバルの雪組のコーラス、コミュニティ広場での雪上結婚式や雪彫シンポジウムなど新しい試みが行われた。

1999年(第50回)

十日町雪まつりが全国に先駆けて開催してから50年。半世紀にわたる長い歴史の大きな節目を迎えた。記念として、信越郵政局管内の「ふるさと切手」の発行、記念誌「十日町雪まつり50年 雪国の祭典」の発行、国土庁主催「雪国研究交流フォーラム」の開催、雪まつり記念モニュメント建設基金の創設、雪まつり創始者高橋喜平氏の顕彰など、多彩な事業を行った。

2005年(第56回)

悪夢の新潟県中越大地震から4ヶ月。震災の深い傷が癒えぬまま迎えた十日町雪まつりは、雪上カーニバルを中止するなど規模を大幅に縮小して行われた。被災に苦しむ市民の心に希望を与え、震災復興に向けて力強い第1歩となる催しが市民の手で数多く取り組まれた。メイン会場では追悼セレモニーが行われた。

2006年(第57回)

新潟県中越大震災のため休止した雪上カーニバルが復活した。2年続きの豪雪が震災復興にかける市民の思いに重くのしかかった。震災を乗り越え、そして新市誕生を祝い、市民は万感の思いで開催にこぎつけた。

2009年(第60回)

第60回は、記録的な少雪の中で様々な記念イベントが行われた。「現代雪まつり発祥の地」モニュメントの建立、NHKラジオ「民謡をたずねて」の公開録音、中国ハルビン市と鹿児島県南さつま市から雪像制作団体の招へいなど、記念開催にふさわしい事業が行われた。

2012年(第63回)

「ミス十日町雪まつり」から十日町を広くアピールする「十日町きもの女王」へと名称を変えた最初のコンテストが行われた。雪上カーニバルは「復興そして福興」をテーマに震災被災地である宮城県南三陸町との「よさこい演舞」や音楽アーティストのライブ、司会のトークなどにより、会場全体が大いに盛り上がった。

2014年(第65回)

雪上カーニバル当日に関東圏が記録的な大雪となった。その為、交通機関が運休や通行止めになり、出演者やスタッフが来市できなくなりカーニバルは中止となった。カーニバルで打ち上げ予定であった花火は同年3月1日に開催した「越後妻有 雪花火」で打ち上げ、観客を魅了した。

2019年(第70回)

雪上ステージ制作中の雪像崩落事故を受け第70回の「雪上カーニバル」を中止。代替企画として越後妻有文化ホール「段十ろう」で「雪まつりライブステージ」を開催。
また、これまで課題とされていた「雪上カーニバル」実施に係る、費用対効果の低さや来場者への利便性等の観点からの検討委員会提言を踏まえ、71回以降の雪上カーニバルの開催は終了となった。

2020年(第71回)

記録的な暖冬小雪の影響で、会場を越後妻有交流館キナーレへ変更し開催。
「雪を友とし、雪を楽しむ」市民主体の雪まつりへ原点回帰した最初の年。

2021・2022年(第72・73回)

新型コロナウイルスの影響で中止

2023年(第74回)

コロナ禍を経て3年振りに開催。十日町駅・越後水沢駅・下条駅を起点に歩いて楽しめる拠点エリアを設定。「雪の白に、明日を描く」をテーマとして、持続可能な十日町雪まつりへの発展にチャレンジ。
「十日町きもの女王※1」は出務回数の減少や昨今のコンテストを取り巻く状況等を勘案し、今後の募集は終了となった。
※1 第33回~第62回十日町雪まつりまでは「ミス十日町雪まつり」

2024年(第75回)

雪まつりの歴史を受け継ぎ、市民が主役となって楽しむ雪まつり企画を検討中。

十日町雪まつり記念誌

十日町雪まつりは昭和25年2月に初めて開催されました。
約70年という長い歴史の中で多くの方が十日町雪まつりに携わり、想いは受け継がれてきました。
十日町雪まつりの記念誌ではこれまでの出来事を簡単に知ることができます。
是非この機会に「十日町雪まつり」を学んでみませんか。

◆十日町雪まつり50年の歴史「雪の祭典」(第1回~第49回)
十日町雪まつり実行委員会事務局にて販売中<1冊2,500円(税込)>

◆現代雪まつり発祥の地「十日町雪まつり60年」(第50回~第60回)※非売品

◆現代雪まつり発祥の地「十日町雪まつり記念誌」(第61回~第70回)
画像をクリックするとPDFが開きます。

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お問い合わせ先

十日町雪まつり実行委員会事務局
〒948-0079
新潟県十日町市旭町251番地17
十日町市総合観光案内所内
TEL:025-757-3100 FAX:025-757-2285
E-mail: snowfes@city.tokamachi.lg.jp

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